[小商い建築ウォーカー神永セレクト#008]
住宅地の中にあり、かつてその地域に住む人々の「送る」行為を支えていた郵便局。
誰かへ荷物を送る窓口であり、保険やゆうちょ機能といった、暮らしを送るための基盤としての役割も持ち合わせていた地域のインフラ拠点。
今回ご紹介するのは、その郵便局を住まい+シェアキッチンへコンバージョンし、地域への新しい役割を持ち始めたという注目の複合施設「ARUNŌ -Yokohama Shinohara-」です。
場所は、「新横浜」駅から徒歩5分、商業施設や日産スタジアムが広がる賑やかなエリアと反対側で、起伏を超えた閑静な住宅地エリア(神奈川県横浜市港北区篠原町)にあります。横浜周辺で住む場所とシェアキッチンへの出店を考えている人には、ぜひチェックしてもらいたい施設です。
「ARUNŌ」の事業者であり運営者であるウミネコアーキは、建築設計事務所でありながら、企画や不動産業、施設運営まで手掛ける会社です。代表である若林拓哉さんへ話を伺いました。
1.篠原町というエリアを面で捉えた計画
「ARUNŌ」をつくった背景には、若林さんが生まれ育った篠原町というエリアを育てたい想いがあると言います。「ARUNŌ」から徒歩10分ほどの場所では、若林さんの祖父が建てた1階店舗+2階住居の建物を、半分建て替え+半分既存改修によりアップデートする「新横浜食料品センター」という、これまた気になる物件も工事が進行中です。
「3年ほど前、新横浜食料品センターを構想している頃、宿泊事業や自分たちのオフィスなど、入れてみたいプログラムがいくつか出てきました。ですが、全て詰め込むと一つ一つの面積が小さくなるので、いっそのこと周辺の空き家を活用して面で捉え、地域全体をアップデートしていくという方法もあるかもしれないと考え始めました」
そうとなれば行動あるのみ。さっそく近隣の空き家のオーナーにお手紙で直談判を開始されたのですが、なかなか返事がもらえず苦戦していた中、郵便局が空くという情報が入り、すぐにオーナーさんとの相談が始まったのだそうです。
当初は、ウミネコアーキのほか、学童保育の事業者も入る可能性がありましたが、立地条件が合わず断念されました。その時、オーナーさんが駐車場かアパートに建て替えようかと話をしているのを聞き、すかさず借り上げることを決断したと言います。
その理由の一つが建物にありました。
この建物は、1975年に建てられ、日本逓信建築事務所(現ニッテイ建築設計。戦前の逓信省において、郵便事業とともに全国各地に建設業の礎を築いた集団の後身)が設計したもの。柱梁が外部に剥き出しになっているのが大きな特徴なのですが、防水や性能を考慮すると現代ではなかなか造れない建物。残すべきであると思うと同時に、郵便局だったというポテンシャルにも魅力を感じ、即決したのだそうです。
2.郵便局という歴史性を捉えたコンセプトとコンテンツ
冒頭で述べたように、「ARUNŌ」は郵便局だったという歴史を背景に生まれ変わった場所です。地域の人が、誰かに物を届けるために出入りしていた拠点であり、暮らしに欠かせない基盤としての場でもありました。
そうした背景から導き出されたコンセプトが「未知への窓口」です。初めてのコトに体験することや、そこで出会う“はじめまして”の人たち。新しい自分自身と出会うことを楽しむため、6つのコンテンツが用意されています。
1つ目はシェアキッチンです。
入り口を入ってすぐ、屋台のように庇を広げ、カウンター席もあるオープンな印象が魅力的です。このキッチンに立って、自分の得意な料理を提供することができたらと、ついつい妄想が膨らみます。
キッチンは飲食業、菓子製造業、惣菜製造業の許可を取得されています。
会員になると利用可能なマンスリープランには、月に40時間利用可能なフルタイムプラン(3.3万円/月)と、20時間利用可能なハーフタイムプラン(1.98万円/月)があります。また、初めての人も気軽にチャレンジしやすいドロップインプランがあるのも特徴で、1日1万円、1時間1,980円から利用することが可能です。
現在は、おにぎりや惣菜、フレンチカフェ、また焼き菓子の製造を行う方などさまざまな出店者さんが利用中とのこと。空き時間は直接お問い合わせください。
2つ目はシェアキッチンの客席空間の壁面にある「マドグチ」です。
30cm四方程度の棚を、“窓口”と捉え直した鏡のあるデザインが可愛らしい小さなショップで、一般の方は月3,300円から利用可能。法人は5,500円/月、学生は1,650円/月となっています(別途入会金6,600円)。
お手軽な金額設定もあってか、アクセサリーや食器など、プロダクトが並ぶ窓もあれば、焼き菓子など食品が並ぶ窓も。販売は目的とせず、人の目に触れてもらうことをメリットに広告として利用する様子があるのも特徴です。
3つ目はシェアラウンジ。
現在はウミネコアーキのオフィスとして利用中なのですが、希望者がいれば検討可能ということですのでご紹介しちゃいます!
10㎡程度の空間で大きなテーブルをシェアするかたちのスペースで、月額19,800円から利用可能です。1時間500円のドロップイン利用もでき、働く場所を選ばなくなった時代だからこそ、シェアキッチン出店者との出会いや、新しい人との出会いに期待して訪れるのはいかがでしょうか?
4つ目はフローズンカフェバーです。
地域の飲食店の冷凍食品やドリンクがメインメニューとなっていて、日によって焼き菓子やできたてお弁当の販売もあるのだとか。
営業時間中は冷凍自販機の食品をイートインできるようにもなっています。
月曜〜金曜の間、キッチン全体の半分を使用する形で営業されているため、平日は残りの半分のスペースをシェアキッチンとして利用することができます。
飲食業と製造業を同時に行うことは難しいため、菓子製造、惣菜製造希望の場合は、フローズンカフェバーの営業時間外(土日及び平日の午前中または夜)の利用をお願いしているとのことでした。
5つ目は屋外出店スペースです。
建物前にある駐車場を活用したスペースで、キッチンカーによる出店や複数人でのマーケット利用など、アイデア次第であらゆる使い方が可能です。
こちらもドロップイン可能で、ドロップイン時は売上の15%を利用料としてお支払いいただいています(詳細はウミネコアーキにご確認ください)。
そして6つ目がシェアハウスです。
この建物があるのは第一種低層住居専用地域。過去にご紹介してきた小商い賃貸物件にも多くある特徴ですが、建物全てを店舗とすることは難しかったこともあり、半分が住居スペースになっています。
個室は2部屋で、それぞれ10㎡程度。シェアハウスといえど、個室には洗面シンクが付いているため、歯磨きや朝の支度は自室で済ませられることが嬉しいポイントです。
そのほか、水まわりは共用になっており、キッチンはシェアラウンジと隣り合う配置です。2人のシェアハウスと考えると入居者同士の相性も気になりますが、その点はシェアキッチンやシェアラウンジとの複合になっているので軽減されます。あらゆる人が出入りする住まいだからこそ、ひらかれた人間関係が実現できそうな点は安心です。
賃料は光熱費込みで月6.5万円から。10㎡の専有部だけでなくシェアスペースにも居場所があると考えれば、ワンルームでは到底叶わない、共有することのメリットを享受できる広がりある暮らしが実現されるのではないでしょうか?
そして、これらのコンテンツが集まる施設は一体どんな様子なのか気になりませんか?
そんな方は、2024年8月10日(土)、2周年イベントがあるということなので、遊びがてら様子を覗いてみてはいかがでしょうか?
3.場所を共有する楽しさと難しさ
過去に紹介してきたいくつかの小商い賃貸物件にも通じるのですが、その中でも「ARUNŌ」は特に、全てのコンテンツが“シェア”という概念の元に成り立っているのが大きな特徴です。今回の取材中、幾度も“コミュニティ”や“シェア”というキーワードが出てきたのが印象的でした。
シェアキッチンやシェアハウスのように、本来専有部として使うことができる場所を複数人で共有することによるわかりやすいメリットの一つは、場所にかかる金銭的な負担が小さくなること。そして、そのメリットに呼応して付随するもう一つの価値が”コミュニティ”です。
振り返れば、これまで小商い賃貸住宅の取材を通して、コミュニティの気配を感じない物件は一つもありませんでした。“小商い”には、モノや情報の行き来を通じて場や時間を共有し、誰かと共に生きることを愉しむという側面をもつのであるとすれば、それは人間が持って生まれた欲望の一つなのだと思います。一方で、その“シェア”の程度や“コミュニティ”の性格には幅広いグラデーションと時代による価値観の変遷があるため、人によって考え方は本当にさまざま。誰かと生きることを愉しむ時、その裏側には、考え方や価値観のすれ違いを、どう重ねていけるかという課題も多くあるのです。
取材中、コミュニティとは何か尋ねると、「人の数だけコミュニティの種類がある」と答えてくれた若林さん。最後に、彼の著書である「わたしのコミュニティスペースのつくりかた」をご紹介します。
民営図書館「みんとしょ」の発起人である土肥潤也さんとの共著で、その中身は、私的に運営される公的空間に関する、悩みへのQ &Aや経験談ガイドブック。好事例を多数学ぶのではなく、自分らしいコミュニティスペースをつくろうと励む人たちへの、部分的で切実な悩みや課題にヒントを提供してくれる実践本です。
シェアスペースは、その場所を運営する人の想いと、利用する人の想いがどう重なるかによって、その地域への根付き方が大きく変わります。
場所を立ち上げることももちろん大変ですが、その後の運営が人のつながりを育んでいくので、小商い賃貸住宅には間違いなく、運営のノウハウも数多く存在します。
この本を手に取ることをきっかけに、地域に新しい風景を作るような温かな時間が生まれることを願って、この記事を終わりたいと思います。
文:神永侑子