スペインは中世の時代から数多くの優れた芸術家を輩出してきた国だ。そのうち近代の3大巨匠に挙げられるのが、ピカソ、ダリ、ミロ。珠玉の作品を生み出した芸術家の軌跡を後世に伝えるべく、スペイン各地にある彼らの家やアトリエは今なお大切に守られている。
今回は、独特な抽象表現で知られるジョアン・ミロ(1893-1983年)がその円熟期を過ごした2つの制作の場をご紹介しよう。
なお、ダリの家は以前ご紹介しているので、そちらも併せてご覧いただきたい。
ミロは1893年、バルセロナ生まれ。同じカタルーニャ州にある自然豊かなモンロッチ村で青年時代を過ごし、絵の道に進むことを決心する。
1920年代にはパリに赴き、そこで出会った華やかな前衛芸術の世界に傾倒していく。時代の潮流であったシュルレアリスムや、のちにアメリカを席巻する抽象表現とのつながりで語られることの多いミロだが、生涯を通して独自のスタイルを築いた芸術家であった。
原色の有機的なフォルム。音楽や詩を思わせる躍動感。こうした明るさやユーモアを感じさせる一方で、ミロの作品にはスペイン内戦(1936-1939年)や第二次世界大戦(1939-1945年)など、時代がもたらす困難に抗う気持ちを色濃く反映した政治的なものも少なくない。
そんな多面的な活動を見せたミロが1956年、63歳の時に移り住んだのが、地中海に浮かぶマヨルカ島。この頃すでに国際的な名声を得ていた彼が、創作への集中力を取り戻すための環境を求めてのことだった。
マヨルカ島はミロの母親、そして妻ピラールの生まれ故郷とあって、縁のある場所。美しい海と石灰石の山々がある島は「地中海の宝石」と謳われるほどで、戦禍を逃れ移住を繰り返してきたミロにとってようやく故国で見つけた安息の地であった。
ミロは自宅のすぐそばにスタジオを構えたいと、友人で建築家のジュゼップ・リュイス・セルトに設計を依頼する。これが芸術家としての円熟期を迎えたミロが、なおも旺盛な創造力を発揮することとなる「セルト・スタジオ」である。
セルトはモダニズム建築の巨匠、コルビュジエの下で働いたのちに、1937年のパリ万博でスペイン館を設計したことで知られる。この時に展示されたのが、かの有名なピカソの「ゲルニカ」と、ミロの描いた壁画作品の「刈り入れ」。いずれも、その前年に発生したスペイン内戦での市民の虐殺への抗議を強く表す作品だった。
その後もミロとセルトは、同じカタルーニャ人としての誇りと芸術的信念を共有し合う同志として、生涯の友となる。
スタジオを建設するにあたり、セルトはマヨルカ島の山腹の段丘に合うような建物を目指した。一方、ミロはセルトに、地中海特有の気候を考慮すること、作品の制作と保管のスペースを別々に確保すること、そして大型の作品にも対応できる広々とした空間にすることを提案した。
実はセルトはスペイン内戦の頃、パリに逃れ、のちにアメリカに亡命をしていた。従って、スタジオに関するこうしたミロとの議論は2年にもわたり、盛んに手紙で交わされていたのだ。実際の建設はミロの親戚にあたる建築家のエンリケ・ジュンコサが監督した。セルト・スタジオは20年もスペインを離れていたセルトにとって、祖国での仕事に立ち帰る一つの重要な転機となったことも忘れてはならないだろう。
セルトはコンクリートに、石や粘土といった伝統的な建材を取り入れた。スタジオは2階建てで、室内に作られたL字型のバルコニーからスタジオの全体が見渡せる構造。外観は、かもめを思わせる白い弓なりの屋根と、ミロの作品に多く登場する鮮やかな青、黄、赤の扉が特徴的だ。1956年の秋に完成したスタジオに、ミロは大変満足したという。
ミロはゆっくりと、この空間をさまざまな物で埋めていった。キャンバス、油絵具、絵筆はもちろんのこと、新聞の切り抜きやポストカード、石、蝶、貝といったオブジェ、マヨルカ島の土笛や他国の民族人形など、インスピレーションとなるものを並べ、唯一無二の空間を作り上げた。
現在も壁や机の上に点在する品々。これらが彷彿とさせるのは、さまざまなモチーフが浮遊するようにキャンバスに描かれたミロの作品にほかならない。彼の絵を前に、「これは人物なのか、鳥なのか、はたまた人間の感情そのものなのか・・・」などと考えを巡らせるように、セルト・スタジオの空間もまた、私たちの想像力を刺激する要素に満ち溢れている。
そして、セルト・スタジオ完成の3年後、ミロは同じ敷地内の「ソン・ボテール」という建物を購入する。伝統的な18世紀のマヨルカ式の田舎風の邸宅で、彫刻の制作を行うことが主な目的であった。ミロはこの年、ユネスコのために制作した作品でグッゲンハイム国際賞を受賞しており、その賞金でこの邸宅を購入している。
この時、ミロはセルトに手紙でこう伝えている。
「家の裏にあるソン・ボテールという素晴らしい家を買った。いい投資となった上に、煩わしい隣人から避難することもできる」。[注1]
ソン・ボテールはミロにとって少なからず安息を約束する場所となったようだ。
ソン・ボテールの一番の特徴は、ミロが室内の壁に木炭で直接絵を描き込んでいること。壁の上を縦横無尽に走る線や文字はさながら子どもの落書きのよう。これらは彫刻作品のためのアイディアであったそうだが、今やソン・ボテールの空間と一体になり、一つの大きな作品のようにさえ見える。
セルト・スタジオと同様、ここでもミロは時間をかけ、ポストカードやオブジェを家のさまざまな場所に配置していったという。当初は彫刻を制作したが、のちに版画制作も行える場所となった。
ミロは1983年にこの島で90年の生涯を閉じるまで、セルト・スタジオとソン・ボテールを拠点に、絵画のみならず、陶器、版画、彫刻など多彩に作品を制作し続けた。これら2つの建物はともにスペインの文化遺産に定められ、充実したミロの後半生の様子を私たちに伝えてくれている。
マヨルカ島で生まれたいくつかの作品は現在、東京のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ミロ展—日本を夢みて」(2022年4月17日まで)で出会うことができる。また、ピラール・イ・ジョアン・ミロ財団のウェブサイトからは、ご紹介した建物のバーチャル・ツアーも可能なので、是非ご覧いただきたい。
[注1] ソン・ボテールウェブサイトより引用。
https://miromallorca.com/en/foundation/architecture/son-boter/
写真/All sources and images courtesy of Miró Mallorca
https://miromallorca.com/en/
取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno