良いアトリエは良い作品を産み出す
この連載を始めた当初、良いアトリエとはどういうものかを自分の眼で確かめたくて、さまざまなアトリエを訪ね歩きました。
取材時は作家さんからアトリエに関する意見も伺いましたが、その中で強く印象に残った言葉があります。
「アトリエが狭いと、どうしても作品がこじんまりとしたものになるので、良い制作環境を持つことはやはり大事ですね」(金丸悠児さん@Vol.004)
「大きな漆室(うるしむろ)を持てたおかげで、大きな漆作品を安心してつくれるようになりました」(大森暁生さん@Vol.007)
できあがる作品とアトリエには強い関連があることを学び、大きな作品を描く(つくる)ためには大きなアトリエが必要だという、考えてみれば当たり前のことにあらためて気付かされました。一方で、多くの作家さんたちとの出会いのなかで、「大きな作品を描きたいけれど、描けるアトリエを持てないから描けない」、「大きな作品が少ないのは、大きな作品をつくれるアトリエを持っている作家が少ないからかも」などという声も耳にしてまいりました。
大きな作品が常に良い作品というわけではありませんが、作風的に大きな作品が向いている方、大きな作品をつくることで才能が開花される方もきっとおられ、そのチャンスを日本の住宅事情が奪ってしまっているとしたら、それはとても残念なことだという思いが取材を重ねるごとに募ってきました。
ところで「大きなアトリエ」と言っていますが、大きさには「広さ」と「高さ」があります。
今回はこのうち「高さ」をテーマとして取り上げたいと思います。
一般的に、天井の高いアトリエは、大きな作品を描ける(つくれる)だけでなく、豊かな採光を得られ、開放感が作品に良い影響をもたらすなどの効果もあると聞いています。
それだけでなく、高さを有効に活用すれば、ロフトベッドなどを用いて居住空間を大きく取ることもできますし、作品保管スペースも少しは確保できそうです。
もちろん、冷暖房の効率が悪くなるとか、音が響きやすくなるなどのデメリットもありますが、ことアトリエについてだけ考えるのであれば、天井の高い空間はメリットのほうがはるかに上回るように感じます。
しかし、それはわかっているのだけれど、天井の高い建物をつくるのはかなり難しいのです。
その難しさについて、現在、武蔵野美術大学周辺で計画を進めているアトリエ賃貸を例にとり、お伝えしてみたいと思います。
武蔵野美術大学周辺の新築計画を進めているアトリエ賃貸のケース
武蔵野美術大学周辺(東京都小平市)で計画を進めている新築アパートメントは、木造2階建てで、1階・2階とも3室ずつつくりますが、天井の高さは1階を3.2m、2階を3.3mとする予定です。
天井高は平均すると2.4~2.5mだと言われているので、かなり高いと言えますが、建築のことをあまりご存知でない方は「な~んだ、平均より70~90cm高いだけじゃないか」と思われるかもしれません。
しかし、この高さを木造アパートメントで実現するのは大変な苦労があるのです。
まずは建築基準法の壁があります。
新築予定地は都市計画法で定められている用途地域でいくと「第一種低層住居専用地域」に指定されていて、建築基準法では建物の絶対高さを10mと定めています。
新築アトリエ賃貸は8.225mとする予定なので絶対高さの範囲内におさめていますが、軒高(※上の図をご参照ください)が7mを超える場合、厳しい日影規制がかかってきます。隣地や周辺の日照を確保しなければならないという規制です。
さらに小平市は「小平市中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例」を設けていて、7m超の建物を新築する際は、近隣関係住民の方への建築計画の事前説明を義務付けています。
また電波障害が発生しないか、専門会社に調査依頼し、結果を報告しなければならないという規則もあります。
これらがすべて整って、ようやく建築確認申請の手続きに進むことができるのです。なかなか骨ですよね。
建築基準法よりハードな壁となるのは、技術とコストの問題です。
この新築のオーナー一家は、ご主人が建設会社に勤務されていて、今回も自社で建築をされることから、ご主人に詳しくお話を伺いました。
まず天井を高くするためには、柱を強化する必要があります。
柱を強化する方法としては柱の本数を増やす手もあるけれど、柱が多くなるとアトリエの中央部などにも柱が設けられてしまいます。
「柱が多いと入居くださる作家さんが使いづらくなってしまうと思うので、この新築プロジェクトでは柱の寸法を120mm角とします。通常は105mm角とすることが多く、太くなれば太くなるほど材木の金額は高くなるので、コストに跳ね返ってきてしまうのですが、今回は高い天井の実現を重視しました」(オーナー談)。
また床の土台にもプレートを入れて補強する必要があるそうで、それもコストUPの要因となりますが、甘受されたとのことです。
「天井を高くするには、建築基準法やコストの問題もありますが、何より難しいのは、普通の設計者、工務店さんは変わったものをつくるのを嫌がること」だとオーナーさんは話を続けられます。 ロフト付きアパートメントなどで2階の天井を少し高くすることはありますが、今回のように1階を3.2m、2階を3.3mとすることは極めて稀で、それを経験したことのある設計者、工務店さんはあまりいません。初めての試みであっても失敗することは当然許されませんから、敬遠したくなる気持ちもよくわかります。
「今回の設計パートナーは、日頃からお付合いをしていて気心が知れています。また施主の要望を受け入れて形にする力があり、かつ経験値も豊かな方です。普通の2階建て木造アパートであれば近隣説明や日影斜線の計算も不要でしたが、設計士さん自身が本当にこの企画を愉しんでくれて、賃貸竣工後に住まわれる方たちを想い、面倒も買ってでてくれました」(オーナー談)。
そして、これは私自身が実感していることですが、オーナー夫妻はご主人が専門家でいらして、奥様も建設会社で勤務された経験があり、大変な勉強家であるので、それが非常に幸いしています。
このご夫妻がオーナーでなければ、そもそも天井の高いアパートメントをつくろうと思わなかったでしょうし、つくりたいと思っても実現することができなかったはずです。
知識・経験・熱意があるオーナーさんと、それを全力で支えようとする設計士さん、工務店さんがいて、初めて実現できるというわけです。
200号の作品を描けるアトリエ賃貸をつくりたい
今回のアトリエ賃貸新築プロジェクトでは、目標のひとつに「200号の作品を描けるアトリエにすること」を掲げています。
そのためには天井の高さが欠かせませんが、搬入・搬出のために大きな玄関ドアも必要だということをVol.023で書きました。
このプロジェクトではYKKAPに特注品のハイドアを注文していて、高さは何と2.8mもあります。玄関ドアは1.8~1.9mぐらいが標準なので、1m近く高いことになります。そしてそのドアは重さが100kgもあるそうです。ちょっと想像がつきませんね。
ドアが重たいと、年数が経るにつれ歪みが出てくる可能性があるので、ドア枠に鉄板を打ってビス止めするという話も伺いました。
私は企画者のひとりであるのですが、建築に関することはオーナーご夫妻に頼ってしまっていて、あとから伺うことがかなりあり、その都度、びっくりしてしまっています。
「2.8mのハイドアもそうですが、今回、高さを実現するために選んだ建材や技術は、きちんと試験もされていて、理論的には問題ないことがわかっています。でも実証例が極めて少なく、経験もありません。施工に携わる我々にとっても大きなチャレンジであることは間違いありませんが、楽しみながら取り組んでいます」(オーナー談)。
オーナーがワクワク楽しみながら実現に向けてチャレンジをしてくださっているアトリエ賃貸が、素晴らしいものにならないはずがないように思います。どうぞご期待ください。
文:久保田大介